2019年11月25日月曜日

医療と多様な社会

 オリンピック種目を見ているとその多様化に驚かされます。

 多様化しているのはスポーツ種目だけではありません。仕事のやり方や社会制度などあらゆるものが多様化の一途のような印象を受けます。

 現生人類のホモサピエンスは誕生して以来、肉食人類だったネアンデルタール人とは異なり、多様な社会
をすでに作っていたことが知られています。雑食人類だったからこそ多様な社会を作り上げてきました。

 多様な社会とは何でも可能な限り受け入れる社会です。

 多様な社会は医療関係者がタバコの害を研究することも受け入れます。研究結果を世に発表することも受け入れます。
《タバコに発がん作用があり、人体に大きな負担になる》ことが分かりました。
けれども、タバコを禁止したりはしないのです。タバコを吸うことも受け入れているのです。
良いものでも、悪いものでも、社会が破壊されるようなことが無い限り受け入れます。
 いや社会が破壊される様な事さへ受け入れてきたのです。
多様化を否定するような宗教や社会思想や経済思想までも受け入れてきたのです。
過去・現在の悲劇を見れば明らかです。

 酒が、ものすごく多くの惨劇を生み出していても、多様化の社会は禁止したりはしません。
酒に良いこともあるからです。

 この多様化した社会には多様な食材があふれています。
身体に良い優しい食材もあれば、負担になったり、癌を引き起こす食材さえ出回っています。
よほどのことがあったとしても、良い点が少しでもあれば受け入れられているのです。

 こうした状況で医者が肝硬変を起こした患者に《酒を止めるように!》と言ってもしばしば空しいことになってしまいます。
糖尿病患者にスイーツを止めるように言うことも空しくなってしまうことが多々あるようです。

 砂糖に害があることは過去の幾多の研究から明らかです。
それでも、砂糖を禁止したりはしません。砂糖を使えば美味しくなるからです。
良いこともあるのです。砂糖を使うことでそれらの産業が潤うことにもなります。
 賭博で身を亡ぼす人がいても、競馬や競輪を普及させればそのことで税収が増え地域が潤ったりします。
そのことで救われる人も出てきます。
だから、公営のギャンブルを減らすどころか必死になって公営がギャンブルを拡大しようとする政治家もいるのです。

 多様化の社会に生きていくとはどういうことでしょうか。

 ここで、議論したいのは、公営ギャンブルのことではありません。
食のことです。当然、多様化社会の中にあって、身体に良いものも悪いものも溢れています。
日々口にしている食の中には身体に負担になったり、慢性病を引き起こさるような食材があふれています。
だからこそ、糖尿病患者や癌患者や認知所患者が激増しているのです。介護の必要な人が激増しているのです。

 私が《 絶対安全などと言える食材はない! 》
と云うのは以上のことを強く意識してきたからです。
我々は多様な社会で生きていることを認識することが必要だからです。

 多様な社会は食材が人体にどのような影響があるかの研究を制約したりはしませんが、
もう一方で、その観点だけで食材を限定したりもしません。医療関係者が食べれば即死に至るようなものでもない限り
食材を規制したりはできないのです。

 したがって、医療関係者が食材に対しての責任感をほとんど持ち合わせてはいないかのようです。
医学教育でも、食材の知識がどれほど教えられているかははなはだ頼りないものの様です。
それで、食に関しては時々とんでもない間違いをやらかすようです。
 私は乾癬を患っていましたが、医者からの助言で肉を控えましたが、これがとんでもない間違いだったことに気が着きました。
コレステロールが心筋梗塞などの原因だと思い込んだ医療関係者が肉を止めて小麦の摂取を増やすように助言しましたが
小麦こそが肥満や心筋梗塞などの原因だとわかってきました。


 そうした中でも、医療関係者からは時々実に貴重な研究結果が発表されます。

 砂糖が虫歯を作り、ピロリ菌酸の餌になり、ピロリ菌酸が胃潰瘍を引き起こし胃がんを発症させます。
砂糖は脳梗塞や心筋梗塞の遠因になり痴ほう症の遠因になります。老人の骨粗鬆症や骨折の原因になり寝たきりの原因になります。
医療関係者が明らかにしてきました。
 それでも、多様化社会は砂糖を禁止したりはしません。テレビの報道ではスイーツの紹介が人気を集めています。
完全に社会から無視されて来たのです。
 こうした中で、糖尿病の患者に対して白米の制限などを忠告する医者も現れました。
迷走しているのです。
 砂糖や小麦を止めれば白米を止める必要はないはずです。


 私は、医療関係者から出された結果をまともに受け入れて砂糖を止めることにしました。
現代社会において、砂糖を止めても代わりの甘味料は手にはいりますし、砂糖が入っていない食品を見つけるのも簡単です。
多様化社会において砂糖を止めることなどは何の問題もないのです。



 砂糖だけではありません。
身体に負担になる食材は小麦・油などです。
議論の余地などありません。

 医者は、人体の構造や機能に対しての専門家です。我々が体調不良に陥った時には
《 身体のどこが、どのようなことに、なっているか? 》と云ったことは医者に頼るしかありません。けれども、食に関してはほとんど、人々は医者の云うことを無視してきたようなものなのです。


《 医療関係者に慢性病に関しての良い食材のみを人々に与える権限も責任もありません。医療関係者にできることは情報を提供することのみです。
したがって、健康に良い食材を摂取できるかどうかは我々一人一人の判断に、かかっています 》

 

医者に求められること

 医者に何が求められているのでしょうか?

《怪我をしたり、病気になった時に、私たちの身体のどこがどのようになっているのかを診断して、治してくれる》のを期待しています。
ほとんどの人が同じだと、私は思っています。
何故怪我をするのか?なぜ病気になるのかに関しては医者の責任ではありません。
医者はほとんど感知しないようです。

 私の家族の恩人の素晴らしい腕を持った整形外科医は
「スノボーでの骨折は破壊的で、スキーより恐ろしい」と言っていました。
それでも、整形外科医がスノボーの怪我に対しての責任や義務を感じているとは思えません。
ただ、スノーボーで大怪我した人たちを誠心誠意、治療してくれます。

 疫病が蔓延するのを避けるために保健所が社会に問題がないかを監視しています。
保健所の運営に当たっているのは人体を診る医者ではなく、獣医の仕事のようです。
 赤痢菌などが増殖しないように水道水に塩素を微量入れることが義務付けられていますが
これを運営しているのは水道局です。

 交通事故を減らすために飲酒運転に厳しい罰則が設けられて、交通事故が大幅に減りましたが
それを決めたのは、政治で守らせているのは警察です。


 癌・脳梗塞・心筋梗塞・糖尿病・認知症・うつ病・アレルギーなどの慢性病が激増しています。
これらの病気に対しても《身体のどこがどのようになっているか診断する》のは医者です。
 これらの慢性病の大部分は食べ物で引き起こされます、が、そのことに医者の責任はありません。
医者に人の食べ物に対しての責任や権限はありません。
慢性疾患を患った人に対して医者は対処療法を行い当面の生命の維持をして延命させることに熱心です。
 けれども、根本治療をしてくれることはほとんどありません。癌になれば癌の部位を切除したりしますが
肝心の衰えた免疫を上げたりはしてくれません。糖尿病になれば血糖値を下げるためにインシュリンの投与を
指導してくれますが、膵臓を治してくれたりはしません。対処してくれるだけです。
もっとも、対処と云っても侮ることはできません。それで、延命できるからです。
医者は、どの食品がどの程度慢性病を引き起こすかに関してのある程度の知識は持ち合わせていますが、
ある程度です。

 医者は怪我をすることに対しての責任は持ってはいません、病気になることに対しての責任も
持ってはいないように見えます。
多分、当たり前です。
 もし、医者に慢性病にならないようにする責任と権限を与えていれば、もっと本腰を入れて食を
研究し勉強するでしょうが、そうではないのです。

 以上、ほとんどの人に異論はないと思われることですが、
明快に認識する必要があると思います。
慢性病を予防したり、治したりするのは結局自分しかいないことが明快になります。

医療の完成度

 現代医学は、我々が健康維持に必要なことを、どの程度カバーしてくれているのでしょうか?

 最近のテレビの報道を見ていると事故などのニュースで
《 心肺停止状態で発見されました 》などと云う表現が使われています。
決して《 死亡している状態で発見されました 》とは言わなくなりました。
 死亡しているか否かは医者のみが判定すると云った社会的なコンセンサスができてきたようです。
《 病気やけがに際しても、どこがどのように悪いのか 》と云ったことは医者に診てもらうしかありません。
つまり診断するのは医者であり、その診断に責任を負うのは医者であることを誰もが認めるようになってきました。


 日本では保険制度が発達していて、誰もが、お金がないからという理由で医療を受けられないと云うことはありません。
 また、急に具合が悪くなった時に救急車を呼べば、素晴らしく早く駆けつけてくれます。
 疫病が発生しないように下水道が完備され制御されていますし、検疫体制もしっかりと機能しています。

こうした制度の完成度はかなり高いと思います。

 けれども、以上のようなことと比較すると慢性病に対しての医療の在り方はものすごく当てにならないようです。

 慢性病とは癌・心筋梗塞・脳梗塞・認知症・糖尿病・痛風などを云っています。
これらの慢性病は激増しています。
大部分の人がこれらの慢性病のどれかを患い、直接・間接それらのために亡くなっていくとも言われています。

 これらの病気の多くは一度、発症してしまうと元には戻らないものですが、医者は真剣に対応してくれます。延命させるために治療してくれます。
 行政も、介護が必要になれば、できるだけのことはやってくれます。

 けれども、これらの発症に責任を感じているようには見えません。

 慢性病を引き起こす食材に関しては、個別にはかなりの情報はあるようです。
けれども、全体性が欠落しています。
例えば、糖分の過剰で全身のたんぱく質が糖化されてこれが老化の原因になってしまうことが明らかにされてきています。
 それで、糖質をゼロにすればよいと思うかもしれませんが、人体はそれほど単純ではないようです。
糖質を制限すれば、活力を失い、風邪をひき易くなり、精神障害を引き起こしたりします。
そうしたことがコントロールできるほど医学は情報を提供してくれません。個別のことは分かっても
人ひとりの全体性が見通せないのです。そのために、糖質制限食なるものにトライしても失敗する人が多いようです。
失敗するとは、トライすることで、逆に体がダメージを負ったり、生活の質を下げたりしてしまうことを云います。

 そうしたことは山のようにあります。
《全体性が欠如しているのです》
 医療は個別の疾病に緊急的に対処することを主眼に発達してきたために
長期的・全体的に見ることは苦手なようです。
現実に生存している我々は全体性の上に生きているのです。

 同じく砂糖や小麦などが健康に悪い食材で様々な疾病を引き起こすことが知られていますが、
その程度が不明です。砂糖をどの程度摂取すれば虫歯になるのかと云ったことが簡単なことではありません。

 最後に最も重要なことは、飲食に関しては個人の嗜好の問題が絡みます。
美味しいものを食べたいと誰しも願いますし、誰も、そのことを否定できません。
健康だけのために飲食するわけではありません。
 ある人は「医者に酒を飲むな!」と言われたことを嘆き
「酒を断つくらいなら、もう仕事もやめる!」などと言い出したり、
「酒を止めるぐらいなら、死んだ方がましだ!」などと言います。
また、経済的なことや生活環境なども複雑に絡みます。
ようするに健康だけの観点で飲食を決めることができないのです。
 こうした健康だけでは判断できない飲食を《定量化できないし、全体性もない医療知識だけで社会を主導していくことが出来ない》
のです。
これが慢性病が激増している背景だと思います。




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